石川県内の美術工芸作家が中心となり、分野、会派を超えて集まった県内唯一で、最大の美術団体。戦後間もない昭和20年に設立、半世紀以上の歴史を数え、石川県の美術界を支え振興する中核的な存在である。協会が中心となって実施している事業の中には、現代美術展をはじめ、北國アマチュア美術展、北國少年少女美術展の3つの公募展と歳末美術展、美術家まつりがある。特に現代美術展は長い歴史の中で、文化勲章受章者、人間国宝、日本芸術院会員など「美術王国石川」を支える数多くの作家を育て上げた、石川県を代表する総合美術展である。
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石川県音楽文化協会は、県内市町の音楽活動と各団体の連絡を密接にするために設立された。箏曲・尺八各派の伝統邦楽界、および合唱オーケストラなどの洋楽界、学校教育等のジャンルを超えて集約し、県内に網羅された音楽文化団体の連絡機関は他県に例がない。 主要な行事は、1万部の機関誌発刊と県民オーケストラや邦楽アンサンブルの育成、昭和38年から継続している「第九交響曲・荘厳ミサ曲年末公演」、全国にもユニークな、子供たち700名が歌い上げる「オーケストラと少年少女」、ウィーン公演・ロシアモスクワ公演をはじめとする海外公演などが顕著であり、協会の特徴はあくまでも石川県民の自由な参加を基本としている。
「オーケストラ・アンサンブル金沢」の運営母体。1988(昭和63)年財団法人として石川県、金沢市、経済団体の3者が中心となって設置した音楽財団である。 目的は音楽文化の普及振興を図るとともに県民文化の発展向上と地域振興に寄与すること。主な事業はオーケストラ・アンサンブル金沢の運営をはじめアマチュア音楽団体の後援・助成、邦楽技能伝習事業を行っている。
1988(昭和63)年、音楽監督に岩城宏之氏を迎え、日本最初のプロの室内オーケストラとして石川県と金沢市が設立。世界中からメンバーを公募し、多くの外国人を含む40名が在籍している。 また、設立時から日本では最初の専属作曲家による現代曲委嘱初演制度(コンポーザー・イン・レジデンス)を実施し、これまで、一柳慧、石井眞木、外山雄三、西村朗、湯浅譲二、武満徹、黛敏郎、池辺晋一郎、藤家渓子、林光、江村哲二、松村禎三、三善晃、猿谷紀郎の各氏が作曲し初演している。また、これらの作品を次代に引き継ぐため、「21世紀へのメッセージ」としてドイツ・グラモフォンでCD化している。 国内では金沢での公演のほか、東京、大阪、名古屋においても定期公演を行い、94年には東京にてベートーヴェン全交響曲連続演奏会を、95年より6年間、東京、名古屋にてモーツァルト全交響曲連続演奏会を開催し、高い評価を得ている。 海外での公演は、89年ベルギー、フランス、92年オーストラリア、ニュージーランド、94年オーストラリア、シンガポール、95年シンガポール、インドネシア、96年イギリス、スペイン、フランス、ドイツ、ルクセンブルグ、デンマーク、97年マレイシア、ドイツ、フランス、98年中国、99年タイ、 2002年中国、2004年4月ウィーン、ベルリンを含む8ヶ国12公演のヨーロッパ公演、2005年7月ドイツの「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭2005」に参加するなど、これまでに11度の演奏旅行を実施し、いずれも成功をおさめている。CDの制作も積極的に行い、ドイツグラモフォン、ビクター、ソニー、東芝から発売、92、95年度日本レコードアカデミー賞、94年度文化庁芸術作品賞を受賞。このような活動が認められ、94年飛騨古川音楽大賞、95年出光音楽大賞などの各賞を受賞している。 また、2001(平成13)年9月本拠地となる石川県立音楽堂が開館、02年大河ドラマ「利家とまつ」の音楽演奏にもたずさわる。03年にはワーナーミュージック・ジャパンとの提携によるCD「オーケストラ・アンサンブル金沢1000」シリーズを続々リリース。ますます充実した活動を展開している。
加賀宝生は加賀藩五代藩主綱紀と宝生流九代宗家宝生友春の出会いを機会に、金沢の地で独自の発展を遂げてきました。 能楽が伝統芸能として広く市民に浸透し今日に伝承されているのは茶の湯と同様、歴代藩主の手厚い庇護により一般市民にいたるまで幅広い愛好者があったからといえますが、近年は能楽人口が減少の傾向にあることが指摘されています。 石川県能楽文化協会は貴重な文化遺産を継承、発展するために後継者育成をはじめ広く一般県民に対する能の普及振興をはかることを目的に平成8年に創設されました。 取り組んでいる事業は、 (1)県内の能楽の広報、普及、振興活動 (2)財団法人石川県芸術文化協会が主催する事業への参加 (3)行政へ施設の充実などを要望 (4)後継者の育成活動 などです。
石川県の茶道文化の普及、振興を図り、茶道家相互の親睦、後継者の育成に努めることを目的に平成2年に結成された。現在、県内の8流派が加盟している。 事業の主なものは、石川県内在住の第一線工芸作家に制作を委嘱、出品してもらった新作の茶道具及び若い作家に門戸を広げることを目的に一般公募作品で構成した「兼六園大茶会」の開催、運営をしている。 「兼六園大茶会」は従来の北國茶会を発展的に解消、規模を拡大して平成3年の石川国体秋季大会の期間中の10月12、13日に兼六園周辺を会場に開催した。 1992年の国民文化祭では10月25日から11月1日までの8日間、兼六園を中心に金沢市内9会場で郷土に伝わる伝統的道具、現代作家、若手新進作家の茶道具で構成した茶席を設け、初日には皇太子殿下のご視察があり、連日愛好者でにぎわった。
石川県いけ花文化協会は平成6年7月、石川県内で最大の華道団体として結成。現在、県内で活躍している24流派、1000人余りの会員が加盟し、石川の華道文化振興のために各種いけ花展を開催するなど、いけ花文化発展のために活動している。 石川県は日本の伝統芸術である華道が藩政期から盛んな土地であり、多彩な流派が活動する「いけ花王国」として全国的にも高い評価を得ている。石川県いけ花文化協会はその「王国」を名実ともに支えるいけ花人が、流派の垣根を超えて集う団体である。 1997(平成9)年に第1回総合花展を金沢で開催。98(平成10)年9月には七尾市で初めて、能登地区で最大の総合花展「爽秋の花の調べ」を、 2000(平成12)年には加賀市で初めて、第5回総合花展加賀展を開催して、金沢、能登、加賀の3地区で総合花展を開催している。 また、芸文協が行った海外派遣交流文化事業として、2004(平成16)年にオーストリア・ウィーンとチェコ・プラハを、2006(平成18)年にはオーストラリアのシドニー、メルボルンを訪問。石川県いけ花文化協会から役員・会員が参加。日本の伝統芸術に賞賛を得た。
石川県三曲協会は、平成元年に県内邦楽界の流派社中の垣根を超えて大同団結し、邦楽の向上発展を目的に昭和46(1971)年結成された。 以後、定期演奏会、第7回国民文化祭、第46回石川国体、文化庁芸術祭や地域の活動「犀川まつり」などに率先して出演し、平成9(1997)年度には、文化庁芸術祭石川公演「八千代の響き」をわが国第一線の唯是震一氏を迎えて共演した。 平成11(1999)年は、創立10周年記念特別公演の趣旨で、今日もっとも若手演奏家集団として国の内外で活躍している「新しい風」邦楽5人の会を招聘し、地元各派社中と「松竹梅」共演を試み成功した。
石川県箏曲連盟は、平成8年、石川県の箏曲(こと)に携わる者が心を一つにし、流派を超え、時代に即した活動と、会員相互の親睦、交流を深め、より高いレベルの向上を目指し、更に後継者育成と箏曲の普及発展を目的として、生田流正派邦楽会、宮城会、当道音楽会、山田流の4流派で、石川県箏曲連盟を設立した。
1975(昭和50)年12 月、民謡の研究と技能を高め郷土の文化発展に寄与する目的で、県内29の民謡団体をまとめて設立した。傘下の民謡団体が研鑽の成果を合同で発表する民謡祭や、技能の向上を図るための民謡民舞コンクールのほか、全国の著名な指導者を招聘して学習をする研修会をそれぞれ毎年1回定例的に実施している。また、各民謡団体が発掘した地域の民謡や新しい時代を反映した創作民謡などを顕在化し、後世に伝承するため民謡集を出版したり、後継者を育成するための指導者資格認定も行っている。
石川県太鼓連盟は県内の伝統芸能の保存、発掘、継承と地域文化の発展をめざし、青少年の健全な育成及び国際親善に寄与することを目的に昭和60年に結成され、平成8年7月には社団法人に認可された。 和太鼓芸能の振興と普及に取り組み、県内各地で各種の演奏会、講習会、研修会、研究会等を積極的に開催し、青少年メンバーを中心とするチームが増えている。
石川県俳文学協会の前身は、昭和16年に「石川県俳句報告会」が誕生し、昭和21年11月に現在の名称に改称され、今日に至っている。 本会は、会員相互の親睦と俳句文学の向上を図り、石川県内俳壇の発展と石川県の文化水準の高揚に貢献することを目的としている。 現在協会に属する会員は900人余りであり、ほとんどの会員は、県内結社または中央結社に属し、その結社発行の俳誌や句会などを行い研鑽を重ねている。これらの結社間の連絡を密にする為にも本協会の役割りは大きい。毎年5月の吟行会、10月の北國俳句大会、犀星俳文学賞の表彰を実施している。
石川県歌人協会は昭和53年11月23日、北國新聞社の呼びかけで結社の垣根を越えて県内の歌人相互の研鑽と親睦を図り、石川の文化高揚に貢献することを目的に発足した。毎年、協会行事として会誌『石川県歌人』の発行と短歌大会を開催している。 会誌は前年大会の講師の講演記録を主に、会員二首詠、歌に関する論説・随筆、会の運営状況等を掲載、発行している。大会は中央招聘講師の講演によって会員の啓発を図り、また会員からの応募歌を会員相互が選歌し、大会では講師及び会役員が批評を行い、作歌力の向上に資している。応募歌は高点順に各種の賞を授与し作歌意欲向上を喚起している。
石川県川柳協会は、昭和48年9月に石川県川柳作家協会として設立され、県内の川柳人との交流や普及、振興を目的として結成された。昭和58年9月、石川県川柳協会と改称。平成16年9月には石川県川柳文化祭を開催し、年度の優秀者に県川柳大賞を、柳壇の功労者に県川柳文化賞を贈った。
昭和54年に石川県内における詩吟団体および剣詩舞道団体のすべての流会派が参加して結成された。平成11年には結成 20周年を迎え、この間に開催された全国的大会等には、平成4年の国民文化祭石川'92全国吟詠剣詩舞道祭や平成10年の全国名流吟剣詩舞道大会などがある。また、毎年、全国吟詠コンクール石川県大会や全国剣詩舞コンクール石川県大会、石川県吟剣詩舞道祭などを開催し、多彩な事業を行っている。 現在の加盟団体は、詩吟流会派が、石川吟詠会、北陸岳水会、白鳥吟詠会、吟道錦城流、吟道城山流、北陸紫虹会、紫虹会金沢、哲泉流日本吟詠協会、稲翠流詩吟旭玲会の9流会派、剣詩舞道としては、渋川流剣詩舞道の1流派で構成されている。
石川県洋舞連盟は1997(平成9)年に発足し、石川県在住のクラシックバレエ、モダンバレエ、モダンダンス、ジャズダンス、児童舞踊等、洋舞の各領域の研究団体主宰者、ならびに舞踊家で構成されている。 本会は、石川県における洋舞の普及振興を図り、あわせて後継者の育成に努め、県洋舞界の発展に寄与することを目的としている。 目的を達成するために定期的に合同公演、芸術祭参加公演や、会員の要望により、適宜、研究会や講習会も開催し、その他、本会の目的達成に必要な事業を行っている。
石川県下で合唱活動をするおかあさん方が、日頃の練習の成果を発表し親睦を図る場として1980(昭和55)年に発足した。例年行われる「女声コーラスのつどい」は一線で活躍される作曲家・作詞家・声楽家・指揮者などを招いて、その豊かな才能、経験に基づく音楽講演・合唱指導、演奏曲の講評は忘れかけた通信簿のときめきを思い起こさせ、しばしの緊張が喜びに変わる快感(?)が活動のエネルギーに、指針にもなって、継続は力なりの歩みを続けている。
昭和35年創立。加盟合唱団は県内全域に渡り、団体数は児童1、中学校6、高校14、大学3、一般25の合計49団体。活発で精力的に活動を展開している。 主な活動として、「石川県合唱フェスティバル」「石川県合唱コンクール」「石川県ヴォーカルアンサンブルコンテスト」を3大主催事業としている。最高決議機関は、毎年1月に開く全加盟団体の代表理事から成る総会とし、また執行機関は、毎月開く役員及び常任理事で構成される常任理事会としている。 また、全日本合唱連盟に所属しており、「全日本合唱コンクール」「全日本おかあさんコーラス」をはじめ、数多くの全国の舞台への道が開けている。特に、全国の女声合唱団のあこがれである「全日本おかあさんコーラス全国大会」には、ここ数年、毎年のように出場を果たして優秀な成績をおさめており、全国でも注目を集めている。 機関誌として「れんぷ」を年2回発行している。
石川県編物協会は昭和28(1953)年設立。石川県内で活躍する編物教師、ニットデザイナーで組織し、編物歴5年以上の正会員と、3年以上の普通会員で構成している。編物の普及を図るとともに、編物、手芸、文化の創造を目的とし、各種の研究会、講習会、作品発表会、展示会の開催、会員相互の親睦などの事業を行う。
昭和27(1952)年、服飾関係の仕事に携わる県内有志によって発足した。以来、北陸地方の服飾文化の向上発展を図り、毎年会員によるファッションショーをはじめ、講演会や講習会を行っている。近年はプレタの普及とともに服飾界の事情も変わり、子供服コンテストやファッションショーなどを隔年に開催している。そのほか会員相互の親睦や美術鑑賞の機会を持っている。
本連盟は昭和36年に県内小学校、中学校のブラスバンド部43校が集まり発足した。現在小・中・高・大・職場・一般の6部門で163団体が加盟している。 主な活動は全日本吹奏楽コンクール石川県大会、中部日本吹奏楽コンクール石川県大会、全日本マーチングフェスティバル石川県大会、全日本アンサンブルコンテスト石川県大会の4つの大会と各種講習会などで、吹奏楽の演奏技術の向上に努めている。 また、各加盟団体においては、定期演奏会の開催や、地域の祭りへの参加、各種施設への慰問、野球・高校相撲・サッカー大会などの応援活動をしている。 さらに吹奏楽を身近に感じ、楽しむことができるよう、積極的に取り組み、また、他部門との交流の中で新しい演奏形態の試みにも取り組んでいる。
平成12年に、県内の水墨画を愛好する会員によって結成された。会員の友好を深めると共に、広く水墨画の芸術的真価を押し広め、水墨画の振興と普及を図り、県内の水墨画界の発展に寄与することを目的とし活動している。
北陸3県(石川、富山、福井)における小唄の普及、発展と会員相互の連携、親睦を図ることを目的とする。 昭和39年1月、北陸3県における小唄の普及発展と会員相互の連携親睦をはかり、後世に受け継がれてきた伝統芸能を守り、さらに継承しようと、流派をこえて一つにまとまり発足された。
昭和51年設立。書美術の振興を目指して、「石川の書展」を毎年開催している。「石川の書展」は、漢字、かな、てん刻、調和体など県内最高水準の書が一堂に会する展覧会である。地元の新進気鋭の作家から重鎮作家で構成され、多くの愛好者の目を楽しませている。
構成団体相互の連絡をはかり、相提携して小松市の文化向上に寄与することを目的としている。昭和33年12月18日、小松市公会堂の落成を翌年に控え、11団体が加盟し設立した。 協会発足以前から継続していた小松市文化祭をメイン行事として開催、昭和62年の第40回から小松市民文化祭として、小松市と共催で行ってきた。平成 11年以降、加盟団体が各単位で市民文化祭を行っている。昭和48年に機関誌「小松文協」第1号を発行し、継続している。平成14年9月26日、県芸術文化協会に加盟した。
金沢市が設置する金沢市観光会館、金沢市文化ホール、金沢市アートホールの効率的な運営と利用者に対するサービス向上を図るとともに、芸術・文化に関する事業を積極的に企画実施し、市民の生涯にわたる芸術・文化の土壌を醸成することにより、金沢市の芸術・文化振興に寄与することを目的に、金沢市から基本財産の出捐を受け、平成5年11月8日、財団法人金沢市公共ホール運営財団として設立した。平成8年10月から、金沢市民芸術村を組織に加え、平成12年4 月に金沢市行政改革大綱に基づき、芸術・文化のさらなる発展のため、財団法人金沢卯辰山工芸工房との統合を行い、財団法人金沢市文化創造財団として組織変更を行う。 「金沢市湯涌創作の森」、「金沢21世紀美術館」の管理運営業を受託するに際し、また、金沢市の新しい芸術文化の創造を担うため、平成15年4月から、財団法人金沢芸術創造財団と改称した。平成15年5月27日、県芸術文化協会に加盟した。
2003(平成15)年4月28日、石川県内の歌謡界の振興と若手・後継者の育成を図るとともに、ふるさと石川の歌の普及に寄与し、各種の事業を行い会員相互の親睦を深めることを目的に設立した。同年5月27日、県芸術文化協会に加盟、「2003ビエンナーレいしかわ秋の芸術祭」に初参加、11月23日、石川県立音楽堂コンサートホールで、「第1回石川オールスター音楽祭」を行った。
昭和21年に設立、その年、北陸では最初の公募展「北國写真展」を開催。北陸では 最古の歴史と伝統を誇る、「北國写真展」は作品発表の場として地元作家から親しまれている。 平成6年には中国、11年にモンゴル、15年に韓国、そして17年には再び中国を訪問するなど活動の場を海外に広げている。
高知県のよさこい祭りと北海道のソーラン節がミックスされて生まれた新しい祭りです。平成3年に北海道で始まり、石川県では平成12年にYOSAKOI ソーランのとまつりとして開催。以後、規模を拡大し、名称をYOSAKOIソーラン日本海組織委員会に変更し、さらに各地へ普及活動を図っています。
会員の研修と親睦を図り、石川県ピアノ協会の発展に寄与することを目的に、昭和46年11月、設立された。 発足当初から、歴代の作曲家や演奏法に関する公開講座、外国人講師を招いての公開レッスンを定期的に行っている。また、平成12年から若手の育成を目的とした「若い芽のコンサート」を継続している。平成17年3月、県芸術文化協会に加盟し、「2005ビエンナーレいしかわ秋の芸術祭」に初めて参加した。
昭和63年7月、寺島蔵人邸跡の所有を機に「(財)金沢文化財保存財団」を設立。平成11年10月「(財)金沢市文化保存財団」に、平成15年4月「(財)金沢文化振興財団」に名称変更した。 金沢市が有する伝統文化の継承と振興を図り、市民生活の充実と文化都市としての発展に寄与することを目的としている。 所管施設ごとの企画展・特別展のほか、施設が相互に協力して実施する各種講座、イベントを開催している。
昭和56(1981)年、幼児から高齢者までの3世代を対象に健康体操の指導を開始し、地域の公民館、集会所などで活動。昭和62(1987)年には、石川県健康クラブ協議会のクラブ員の指導や、北國新聞文化センターの講座を担当し、県民の健康づくり指導を行う。 平成14(2002)年に、石川県リズムダンス協会を設立。第14回全国生涯学習フェスティバル「まなびピア石川2002」に参加した。そして、平成 18(2006)年には、芸文協海外派遣事業「豪州・日本祭いしかわ」でオーストラリア・シドニー、メルボルンを訪問し、文化交流を行った。
石川県内の日本舞踊の師匠が中心となり、流派を超えて集まった日本舞踊の団体。昭和34年に設立。花柳(1社中)、若柳(2)、藤間(4)、西川(1)、藤陰(4)の5流派12社中で発足し、最初の頃は、毎年1回舞踊公演を催し、後には、隔年に公演を続け、平成22年には50周年30回公演を催す。現在は、3流派6社中、1グループで会員数約245名で活動している。地方都市で日本舞踊のみの協会で半世紀以上続いているのは珍しく貴重な団体である。
石川県かるた協会は日本海側では最古の歴史を誇り、平成20年の全国かるた競技北國大会は70回の節目を数えている。過去には、名人、クイーンを輩出した名門として全国に知られており、一時低迷期が続いたが、平成20年に小松市の高校生が30年ぶりに全国大会A級制覇を果たし、名門復活の兆しが見えてきた。競技かるたは集中力を養う競技であり、子供から大人まで選手生命が長く、また、男女の別なく対等に競技できるという他の競技には見られない大きな特徴を持っている。
北國芸術振興財団は、2008年8月開館した「北國新聞赤羽ホール」を核に、演奏会・公演の開催などを通して国内外の優れた芸術文化を紹介します。さらに「赤羽ホール」を運営する特性を生かし、県民が取り組む文化芸術活動に対して広く発表の機会を提供することにより、豊かな地域文化の形成と発展に寄与しようとするものであります。
日本棋院支部石川県連合会は、県内の囲碁界の隆盛と、各支部会員の棋力の向上と普及を目的に、昭和54年8月に結成された。 主要事業として、県民囲碁まつり、市町対抗囲碁団体戦、少年少女囲碁大会などがある。
日本将棋連盟石川県支部連合会は、県内の各支部を統括し、日本将棋連盟と緊密な関係を保ち、日本古来の文化である将棋の普及・発展に努めるとともに、各種棋戦の開催、支部会員の増加など、将棋の地域活性化を図ることを目的としている。 平成元年に、前身である旧石川県将棋連盟を改組し、県内の各支部の連合体の組織として設立された。 主要事業として、北國王将杯争奪将棋大会をはじめ、県内では15大会を開催している。
ビジュアルデザインの研究向上及び普及を図ること。
昭和60(1985)年、県内のマーチングバンド団体がまとまり発足した。 当協会は、マーチングバンドの普及、発展及び会員の資質の向上をはかり、その活動を通じて豊かな情操と節度ある気風を育てることにより、学校教育及び社会教育に貢献するとともに、地域社会の文化向上に資することを目的とする。
石川が誇る伝統芸能である邦楽舞踊の発展と、次代への確かな継承を目的として、1955(昭和30)年に発足した「県邦楽舞踊協会」と、1990(平成2)年に北國芸能賞受賞者を中心に設立した「県邦楽舞踊特選会」が結集し設立された。 「北國邦楽舞踊特選会」公演(金沢歌劇座)や「紀祥会」(北國新聞赤羽ホール)を開催し、県立音楽堂で開かれる「金沢おどり」に運営協力する。
日本画家らで構成する加賀美術作家協会と、陶芸家らが所属する加賀美術協会の2団体を統合し、加賀市の美術・工芸活動の活性化を図るために平成26年4月1日に設立された。 加賀市美術展やチャリティー展、勉強会や講演会などを開催する。
金沢美術工芸大学は、県美術文化協会の強い働きかけを受けて、終戦の翌年に金沢美術工芸専門学校として発足した。草創期には、現代美術展をはじめ県美術文化協会の活動に積極的に参加した。 昭和30年に金沢美術工芸大学となり、平成22年に公立大学法人金沢美術工芸大学に移行した。 これまでに、地域や企業との連携活動、海外作家や大学間との交流活動を通して、美術、デザイン、工芸の分野で数多くの優れた人材を輩出し、芸術文化の重要な一翼を担ってきた。
1925(大正14)年に「金沢市意匠図案研究会」として発足。美術工芸の技術向上を図り、地域伝統文化と産業の振興に努めると共に、会員相互の親睦を図ることを目的とする。
1953(昭和28)年に「石川県社交舞踊教師協会」として発足。ダンスの普及並びに技術の向上に努め、会員相互の連絡・親睦を図り、ダンスの健全な発展に寄与することを目的とする。
石川県における美術文化の普及、向上、発展に寄与することを目的とし、会員相互の親睦を図る。
〈沿革〉 昭和21年 金沢市出羽町に3年制の「私立金沢女子専門学園」設立 昭和25年 2年制の金沢女子短期大学(現金沢学院短期大学)設置 昭和27年 金沢女子短期大学高等学校(現金沢学院大学附属高等学校)設置 昭和56年 金沢市末町地区に総合移転 昭和62年 4年制の金沢女子大学(現金沢学院大学)設置 平成11年 大学院修士課程設置 平成17年 大学院博士後期課程設置 令和 4年 金沢学院大学附属中学校設置